まま守り

『生』に対する満足度 その1

まま守りの母体は、
産後のママさんを労い、
安らぎを感じてもらう
産後エステ事業を行っています。

お子さんが日に日に成長していき、
多忙の中で忘れてしまっていた記憶を
出産されたママさんとエステティシャンとのお話で思い出してもらえると嬉しいです。

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数年前までの私は、いわゆる典型的な内弁慶だった。
小さな頃から親が商売人だったので、人前に出たら一丁前のお愛想を振りまくのは息をする様に普通な事で
家では自分のエネルギーは省エネモードで良いと思っていたので、家で笑わない事に対して何の違和感も無かったが、ある日母親に命を左右する事が起きた。
くも膜下出血と乳癌だった。



私は寝てる所を見たことない位に働き詰めだった母の人生って、一体どこに人生の充足感や幸福感を感じて生きてたのか疑問に思った。
生命維持、安全維持だけを目的とするなら、もっと時間や気持ちに余裕を持てる働き方はなかったのか?
と思い、『そんな命を削ぎ落とす様に生きてきて、幸せなん?』と聞いてみた。
返ってきた返事は
まぁ、、、幸せかな。

え?幸せかな?『かな』がつくの?!
結構ショッキングだった。
幸せかそうじゃないかの質問に『かな』がつく様な曖昧な感じが。
しかも、少し治療が難しく、下手したらオペ室でお迎えが来るかもしれない様な状況で、その曖昧な返事。

この世に存在するものは、平家物語でも有名な諸行無常(永遠はない)であって
人間も生まれたからには遅かれ早かれ原因は違えど必ず死ぬのは当たり前の事だという事はよくよくわかっていたつもりだし
この日本に深く根付いている仏教の開祖ブッダも、死後の世界に関しては『無記(有るとも無いとも言えない)』と言われているので
私の様な凡人が死後の事などわかるはずもないわけですが
いつか死ぬ事は確実なわけで。



命の代名詞でもある時間が
母を含め、自分にもあとどれくらい残されてるんだろう、、、
明日か?一年後か?
いくら考えたところで答えが出るわけもありませんが。。。
そこで、あとどれ位残されているか何の保証もない、この命の代名詞といえる時間を、このまま過ごしていて良いのかを真剣に考えた。
考えた結果、先日言われた
まぁ、幸せかな。

うん、幸せやな!
に変えたいと思った。

『生』に対する満足度 その2に続く
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